遥光の形姿。建築と芸術の間:江之浦測候所

Pocket

建築は芸術なのか否かという命題は以前より様々な場で繰り返し、繰り返し論じられてきました。

「アートは自らの表現の場であって、建築は施主の求めに応じた物を作るのだから芸術ではない」

「建築にも設計者の意思や思想が表現として内包されているわけだし、本当に美しい作品もあるのだから芸術といってもいいのではないか」

「そもそも芸術とは?そして建築とは?建築と建物は違うのか?」

様々な人が様々な意見を持っています。この議論は今後も収束することはないだろうし、僕はこの議論をずっと続けていくべきだと考えています。

人がいる(いた)ところにはなんらかの形で必ず建築が存在しています。それほど見慣れた、ありふれたものなのに、それが人間の表現としてどんな意味を持つか、意識的に捉えている人は本当に少ないのだと思います。だからこそ、建築の在る意味や役割について語り合う人々が少しでも増えれば、人が暮らす街は少しずつより豊かになっていくのではないでしょうか。

 

さて前置きが長くなりましたが昨年末に「江之浦測候所」に行った時のお話。

江之浦測候所とは、芸術家の杉本博司が設計した施設で、内部には杉本の写真作品が何点か展示されています。

しかし、これはいわゆる一般的な美術館ではありません。

明らかに、建築そのものに芸術性を付帯させようという意思が強く表れています。

春分、秋分、夏至、冬至という普遍的な条件を、それぞれの日の出の方角への軸線という形で敷地に落とし込み、それをそのまま建築の形態とした非常に原理的なデザインです。

この建築には杉本博司の非常にロングスケールな時間の捉え方が表れていると思います。

光軸というこの地における普遍的な概念をマスタープランとしていること。光をその内部に捉えるかのような光学ガラスを各所に配置していること。そして石材や耐候性鋼板などの、風雨に晒されることで長い年月をかけて朽ちていく素材を多く使用していること。

もちろん、洗練されたデザインに目を奪われもしますが、この建築の1番の魅力は「時間」を感じさせることだと僕は思います。

新しく造られたものなのに、悠久の時を刻んできた西欧の石造神殿のような雰囲気を纏っています。(なぜか、日本の寺社仏閣の雰囲気ではないように感じました。各所に見られる造りは日本建築のそれなんですけどね…)

 

さて、話を最初の命題に戻してみます。

この建物は「芸術」なのでしょうか?

少々乱暴な言い方にはなりますが、建築には「機能」が必須です。機能の備わっていないものは一般的に建築とは呼び難いと思います。

この建物には明らかに「機能」が備わっています。写真を展示し、それを鑑賞するという機能です。ざっくりと捉えるならば、この建物はギャラリーや美術館ということも可能だと思います。そういったことを踏まえると、この建物を建築と呼ぶことはできると思います。

しかし、「機能」を伴った「芸術」というものは存在するのでしょうか?

絵画に、彫刻に、インスタレーションに、「機能」は付帯しているのでしょうか?

もしその答えが「否」なのだとすれば、「建築」は「芸術」にはなりえないということになります。

しかし、美しく立つ建築の形姿に芸術性を感じない人はいるのでしょうか?

僕はこの「建築」は「芸術」に非常に近いところに在ると感じました。

施主自らがデザインを行い、ただただ自らの表現を純粋に投影しているということ、そういった側面がこの建築の芸術性に寄与している部分が大きいのでしょう。どことなく、方向性としてはジュバルの理想宮などの建築のプロフェッショナルではない人間のセルフビルドと似ているように思います。

この建築は今のところ予約しないと入場出来ない上に、一日の入場人数に制限があります。立地的にも非常に不便です。

しかし、僕は出来る限りこの方向性を守って運営を続けていって欲しいと思っています。

この、純粋な建築とも、純粋な芸術ともつかない、不安定な雰囲気は今の入場者数で限界、もしくはもっと少ない方が良く表現されるように感じるからです。

 

長々と書いてきましたが、もしこの建築にご興味のある方がいたら、是非一度足をお運び下さい。

そしてその時は、ほんの少しだけでも良いので、建築ってなんだろう?とか、芸術ってなんだろう?ということを考えて、感じて頂けると嬉しいです。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。