僕は写真を撮ることが結構好きです。もちろんアマチュアレベルの話ですが…
初めて自分のカメラを買ったのは大学生2年生。バイトで必死に貯めたなけなしの貯金をはたいてNikonのD90を手に入れました。当時はD3000とかD5000という入門機が人気でしたが、少し背伸びして買ったミドルクラスの一眼レフカメラを眺めながら夜な夜なニヤニヤしていました。
このカメラは大学や海外旅行などで本当によく使いました。もちろん最新の機材には劣りますが、未だに撮れる画のクオリティは全く問題ないと思います。
しかし今は殆ど持ち出すことはなくなってしまいました。理由はiPhoneのカメラクオリティの高さ。すごすぎませんかあれ?あまりに便利すぎて、重たいD90を持っていく理由がよくわからなくなってしまいました。
iPhoneでいっかとなってからしばらくの間、いい写真を撮ろうとかそういう気持ちが全く起きなくなってしまったため、写真からはだいぶ離れていましたが、とても大切な人からとあるフィルムのカメラを譲り受けたことで最近また写真を撮る面白さを再認識しています。
▪ハッセルブラッドとライカ
その人は本当にカメラ好きで、骨董品のようなカメラをたくさん持っていました。譲り受けた当初は古いものだしちゃんと使えるか不安でしたが、どれもよく手入れされていて現役バリバリです。こういう人がオーナーだとカメラも幸せなのかなと思います。
そんな経緯を経て僕の手元にやってきた「ハッセルブラッド500C/M」と「ライカM6」
どちらも機械式シャッターなので電池がなくても動きます。昔は当たり前だったのでしょうが、今となってはこういう電気を必要としない機械ってとても貴重だと思います。
▪存在を切り取る
写真に魂を吸い取られるという考え方があると思いますが、フィルムカメラで写真を撮っているとそれも案外嘘ではないのかなと思う時もあります。
被写体が存在する証明としての光の反射があって、その反射光をフィルムに刻む。光の痕跡を物理的に捉える。
そういった営為は、ある意味でその対象の存在の一部を切り取っているようなものなのかもしれません。
デジタルカメラももちろん光を捉えて絵を作ります。しかし、センサーに拾われた光は「0と1に変換される」という過程を挟みます。
フィルムとデジタルの一番の違いはそこだと思います。「物理的/物質的」であるか否か。
どちらが優れているかとかそういう話ではなく、ただただ好みの問題です。お互いに得意不得意があるからこそ、未だにフィルムカメラも細々と生き残っているのだと思います。
▪宝箱あるいはタイムカプセル
つらつらといかにも僕はフィルムカメラを愛しているんだというような雰囲気で書いてきましたが、いかんせん出不精なので僕にとってはフィルム一本使い切るのもなかなか大変です。
しかしそれはそれで一つの楽しさでもあります。
ファインダーから見える素敵な風景をシャッターを切ることで切取る。でもそれがどんな絵になったかは蓋を開けてみるまでわからない。
そしてフィルム一本使い切った頃には1、2ヶ月はゆうに過ぎていて、最初の方にどんな写真を撮ったかさえ覚えていなかったりする。
いざ現像してみると、そういえばそんなことしてたなあとか、あの人はこんないい顔してたんだ…とか、やばい普通に失敗したとか。
そんな一つ一つの瞬間がたまらなく楽しかったりします。ベタですが、本当に宝箱やタイムカプセルを開けるようなものだと思います。
▪フルマニュアルという便利さ
デジカメのプラグラムオート(ダイヤルでいう「P」のポジション)やオートフォーカスは本当に素晴らしいです。露出やピント合わせを自動で完璧にこなしてくれるため、捉えたい瞬間を逃さず正確に描写できます。
しかし、常に「正確」な写真が撮りたいかというとそうでもありません。
優等生もいいけど、不良にも憧れてしまうんです。
そういった面で、露出もピントも自分で決めるフルマニュアル機は意外と便利だったりします。
周囲の光を感じながら、2ヶ月後に現像されて出てくる写真のイメージを膨らまし、細かい設定を決め、重たいピントリングを回して、結像させる。
すごく身体的な行為です。
この楽しさを知ってしまうと、iphoneの優秀なカメラがとても不便に感じたりもします。
▪楽しければいいじゃない!
色々書きましたが、僕は決してフィルムカメラ信奉者ではありません。ただ、フィルムにはフィルムの良さがあるので、できれば細く長く生き残っていってほしいと思っています。
フィルムカメラは思ったより難しくはありません。意外と面白いかも?と思ってゆるく初めてみる人が増えていったらいいなぁ…
皆さんも宝箱、開けてみませんか?